意思無能力に近い状況であることに加え遺言作成当時の状況を考慮して「口授」の要件を欠くとして公正証書遺言を無効とした事例

1.事案の要点

(1)請求内容

不法行為に基づく損害賠償請求

Xが遺言に基づいて、AがYに対して有していた損害賠償請求権を相続したとして、Yに対して損害賠償を請求し、これに対して、Yが、当該遺言が無効であると反論した事案です。

(2)相続関係等

  • 被相続人(A)
  • 相続人:子供4名(前婚、前々婚の際の子供それぞれ2名)
  • 包括受遺者(原告):Aの母(X)
  • 被告Y:Aの前婚の配偶者

(3)遺言の内容

遺言の種類:遺言公正証書
遺言の内容:Aのすべての遺産をXに遺贈する。
遺言作成日:平成6年10月15日

(4)遺産の内容

詳細は不明です。

2.判例のポイント

(1)結論

遺言公正証書は無効であるとして、Xの請求を棄却しました。

(2)判断のポイント

ア 判断の対象となった事実

本判決は、XがAの損害賠償請求権を相続した根拠となる遺言公正証書の有効性に関連して、遺言公正証書の成立要件である「口授」の有無について判断しました。

イ 遺言公正証書の成立要件:「口授」の意義

本判決では、遺言公正証書の成立要件である「口授」とは、「遺言者たる壽雄の真意に基づく、自由にして明確な遺言意思表示を確保するための口述の方式」と判示しました。したがって、形式的に遺言者の意思表示がなされたとしても、それが遺言者の真意に基づくことや自由で明確な意思表示と評価できなければ、「口授」があったとは認定できないとの判断を導くことができます。

ウ 判断の骨子(その1)

本判決は、遺言公正証書は「口授」を欠き、無効と判断しましたが、その根拠は次のとおりです。

1.Aは、遺言公正証書作成当時、意思能力を欠くとまでは言えないものの、それに極めて近い状況にあったこと

本判決は、Aの入院時の医療記録等を根拠として、以下のような事実を認定し、Aは遺言公正証書作成当時、意思能力を欠くとは言えないものの、それに極めて近い状況にあったと認定しました。

「平成六年一〇月一四日当時の壽雄は、その数日前から、敗血症の影響による意識レベルの低下した状態にあり、常時ではないものの、ある一つのことを関連付けて発言することができないことに加え、妄想的、幻覚的な言動を繰り返し示しており、右同日に至っては、ベッドの上に自力で起き上がることが難しく、点滴を投与することさえできないほどに重篤な症状を来たしており、したがって、例えば、自ら署名をすること自体は可能であるものの、それを何のためにするのかということやその持つ意味については分からなくなっている有様であった。」

上記の認定事実は、意思能力が欠如していることを強く裏付ける事実ですが、他方で、遺言公正証書作成当時、Aは公証人との間で一定のやり取りをしているため、意思能力が欠如していたとまでは認定できなかったものと考えられます。

意思能力の認定の関係では、原告から、平成6年10月14日の医療記録(入院要約)にXの容態について「比較的意識はクリアーであった」とされており、意思能力に問題はなかったとの主張がされています。

遺言者の意思能力が争われる事案では、このような主張がされることは、珍しくありません。医療記録に「意識がクリアー」と記載されていると意思能力に問題はなかったのではないかと考えてしまうかもしれませんが、上記のような記載は、担当の医師が医療的な観点からみて評価を記載しているものであり、法的な判断能力を念頭において記載しているわけではありません。したがって、上記のような記載が意思能力の有無の決め手になるわけではありません。本判決も原告の上記の主張について、以下のように判示しています。

「甲二八(入院要約)には一〇月一四日の壽雄の容態について、「時折コンシャスネスドロージーとなるも比較的意識はクリアーであった」旨の赤司医師による記載があるが、同医師はその意味について、「意識がクリアーであると記載していても、それは健康な人と同じように正常な判断能力があるという意味ではなく、医師の問いかけに対して壽雄から一応きちんとした答えが返ってきて特に異常な言動は無かったということであるが、問いかけ自体、『気分はどうですか。』、『痛みはありませんか。』などの体の容態に関するものが主体で、それほど難しい判断能力を要するようなものではないから、クリアーという記載が直ちに正常な判断能力を示すものではない。」旨述べているのであって(甲三二)、前示のような当時の壽雄の容態からすると、右甲二八の記載や甲野公証人の印象をもって壽雄の精神状態に何らの問題が無かったと認めることはできない。」

2.上記1を前提にするとAがその財産の帰属や管理について整然と自身の考えを述べたか否かについては疑問があること

本判決は、原審が実施した公証人に対する証人尋問の内容を詳細に検討し、遺言公正証書作成のため公証人がAに面談した際、Aが公証人に伝えたことは、「お袋に任せたい」、「本廣に任せたい」、「判子を新しくした」の3点の断片的な内容であり、Aがその財産の帰属や管理について理路整然と自身の考えを伝えたかには疑問があるとしました。

「壽雄が甲野公証人に「私の財産はお袋にすべて任せたい。私の考えのとおりにして欲しいので本廣に頼んだ。」と発言したとの点については、その旨の甲野公証人の原審における証言部分は存するが、同人は壽雄の言った言葉は、「お袋に任せたい。」、「本廣に任せたい。」、「判子を新しくした。」の三つだったと思うとも証言しているのであり、前示の壽雄の容態にも鑑みると、壽雄がその財産の帰属や管理について整然と自身の考えを述べたか否かについては疑問があり、控訴人引用にかかる右甲野公証人の証言部分は壽雄の発言そのものというよりも、断片的な壽雄の応答から甲野公証人が推測した事柄をも含むものと解せられる」

この認定は、前記イの口授の意義との関係でいうと、意思表示の明確性についての問題点を指摘するものと解されます。

3.Aが遺言公正証書作成の2週間前である10月1日に、内妻である被告に財産を相続させる趣旨の全文書を自書した遺言書と題する書面を作成していたこと

本判決は、前記2の事実と併せて、以下の事実を認定し、結論として「口授」の要件を欠くとしました。

「壽雄は本件公正証書作成の約二週間前(一〇月一日)に「内妻宮西シヲ子は本人の自由にして下さい。お金の事一切異議の申し立てしません。車も使って下さい。」などと記載した「遺言書」と題する書面(乙三)を全文自署して被控訴人に与えていることなどを併せ考えると、壽雄の甲野公証人に対する発言、対応をもって、民法九六九条二号所定の「口述」の要件を充足すると解することはできない。」

上記の遺言書と題する書面(乙三、以下「本件遺言書」といいます)が口授の要件との関係でどのような意味を持つのか、という点は少しわかり難いと思います。

「口授」という手続を、単に遺言の内容を遺言者が公証人に伝えるという手続と考えると、本件遺言書の存在が口授の有無を左右する事情にはなりません。

しかし、本判決は、口授を「遺言者たる壽雄の真意に基づく、自由にして明確な遺言意思表示を確保するための口述の方式」として、遺言者の真意に基づく遺言意思表示を確保するための方式としています。したがって、公証人は、口授を受けるに際し、遺言内容がAの真意に基づくことを確保すべく、その真意を確認することが必要であると考えられます。

本件では、遺言公正証書に示されたAの意思に相反する内容の本件遺言書が存在しており、客観的には遺言公正証書の内容がAの真意に基づくか否かに疑問が生じる状況があります。そして、公証人は、Aに対して、子供である4人の相続人らではなく、Xに全財産を包括遺贈する理由や財産の内訳について確認していないことを原審の証人尋問で認めています。

以上の点を考慮して、本判決は、本件ではAの真意に基づく遺言意思を確保するための手続がとられていないものと評価し、本件遺言書を口授を否定する事情の一つとしたものと考えられます。

ウ 判断の骨子(その2)

また、「仮にA真実、右甲野公証人の証言部分のような発言(私の財産はお袋にすべて任せたい。私の考えのとおりにして欲しいので本廣に頼んだとの発言)をしたとしても」との事実を仮定したうえで、この事実を前提にしても、以下のとおりの理由で「口授」を欠くと判断しました。

  1. Aが意思能力欠如に近い状態にあったこと
  2. 遺言公正証書の作成嘱託に当たりZは事前にAの意向を確認していないこと
  3. ZはAと先妻の間の四名の子ら(相続人)に対してなんら連絡、相談をしていないこと
  4. 甲野公証人も右四名の子ら(相続人)の存在を容易に知り得たにもかかわらず、AがなぜXに包括遺贈するのかなどについてAに確認していないこと
  5. Zはその後の経過から見て本件遺言について強い利害関係を持つ者といいうること

上記の各事実についても、本判決が示した「遺言者の真意に基づく、自由にして明確な遺言意思表示を確保するための口述の方式」との口授の意義を踏まえて検討する必要があります。

まず、大前提ですが、本件では、Aの意思能力が欠如とまでは言えないものの、これに近い状態にあったことが認定されています。Aがこのような状況にあることで、遺言公正証書作成にあたり、Aの真意や自由意思を確保するための方策をとる具体的必要性が高まるからです。意思能力に全く問題のない方が、遺言公正証書を作成する場合には、真意や自由意思を確保するための方策を高度に要求する必要はないこととの対比で考えると分かりやすいと思います。

上記2ないし4は、遺言公正証書の作成を主導したZか公証人かの違いはありますが、いずれも、遺言公正証書の内容がAの真意に基づくことに疑問を抱かせる事実です。また、上記5の事実、すなわち、Zが遺言公正証書について強い利害関係を有するという事実は、遺言公正証書がZの影響力が及ぶ状況下で作成されたことをうかがわせる事実です。

本判決は、以上の事実を踏まえ、本件遺言は、Aが意思能力の欠如に近い状況下で、真意を担保の観点及び自由意思を確保する観点のいずれについても杜撰な対応がされていることから、Aの真意かつ自由な遺言意思を確保する方策がとられていないと評価し、「私の財産はお袋にすべて任せたい。私の考えのとおりにして欲しいので本廣に頼んだ」との発言を前提にしても、Aにより公証人に対して「口授」がなされたと評価することはできないと判断したものと考えられます。

(3)まとめ

実務上、遺言に関する意思能力が疑問視される事案では、意思能力が明らかに欠如するとまではいいきれないものが多く存在します。

本判決は、意思能力が欠如するとまでは認定できない場合に、意思能力が低下している事情に遺言作成の経緯や作成当時の状況など幅広い事情を踏まえ、遺言者の口授を否定するという判断手法を示した点が特徴的です。

本判決は意思無能力とまでは言えない事例において、「口授」の要件を欠くことにより、遺言公正証書を無効とする具体的なアプローチを示した点で実務上非常に参考になると思われます。

3.判例紹介

広島高裁平成10年(ネ)第47号

主文

一 本件控訴を棄却する。
二 控訴費用は控訴人の負担とする。

事実及び理由

第一 当事者の求めた裁判

一 控訴の趣旨

  1. 原判決を取り消す。
  2. 被控訴人は控訴人に対し、二二五九万六四七一円並びに内金五〇二万九六四五円に対する平成五年五月二四日から、内金二五〇万六三四九円に対する同六年二月二四日から、内金四九四万四五〇五円に対する同年九月二一日から、内金一二六万四三四四円に対する同三年七月一七日から、内金一二六万一六九三円に対する同四年六月二九日から、内金三八〇万四五六二円に対する同二年九月二〇日から及び内金三七八万五三七三円に対する同四年七月八日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
  3. 訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。
  4. 仮執行宣言。

二 控訴の趣旨に対する答弁

主文と同旨

第二 事案の概要及び争点

原判決四頁八行目の「前記第一」の後に「の2」を加えるほかは、原判決が「第二 事案の概要及び争点」と題する部分に記載するとおりであるから、これを引用する。

第三 争点に対する判断

一 次のとおり付加・訂正するほかは、原判決が「第三 争点に対する判断」と題する部分(七頁二行目から二九頁三行目まで)に記載するとおりであるから、これを引用する。

  1. 原判決一〇頁七行目の後に改行して次のとおり加える。
    本件公正証書を作成した甲野公証人が壽雄の病室を訪れていた平成六年一〇月一四日午後五時三〇分頃から六時頃までの間は、壽雄の主治医である赤司医師の臨床経過記録の記載から裏付けられるように、壽雄は「比較的意識はクリアー」な状態であった。また、甲野公証人も、右時点における壽雄の精神状態に何らの問題が無かったことを明言しているところ、甲野公証人は既に公証人として七年の経験を有し、多数の遺言を作成してきている者であるから、同人の受けた印象は十分信用するに値するものというべきである。
  2. 同一一頁二行目の後に改行して次のとおり加える。
    本件においては、壽雄の意思能力に欠けるところがない状態において、壽雄が甲野公証人に「私の財産はお袋にすべて任せたい。私の考えのとおりにして欲しいので本廣に頼んだ。」と発言し、甲野公証人が予め用意していた原稿に基づき読み聞かせたところ、壽雄において「結構です」と答えているから、民法九六九条二号所定の「口述」の要件に欠けるところはない。
  3. 同一一頁四行目の「(2)」を「(1)」と、同一三頁四行目の「あるが」を「あり」と、同六行目の「ており」から七行目末尾までを「たが、家を出て、別居するまでには至っていない。」と、同一八頁一〇行目の「常時ではない」を「名前を呼ばれれば返事はする」とそれぞれ改め、同一九頁一行目の「加え、」の後に「虫がいないにもかかわらず、虫がいると言うような」を、同二行目「しており、」の後に「医師などの呼びかけに対してまともに返事ができる時と全く辻褄の合わない応答をする時とが混在し、一定時間何かをきちんと考えることは困難な状況になっていた。そして、」をそれぞれ加え、同三行目から四行目にかけての「難しく、点滴を投与することさえできない」を「難しい」と、同二〇頁八行目から同一〇行目にかけての「私の財産はお袋にすべてを任せたい。私の考えのとおりにして欲しいので本廣に頼んだ。」を「お袋に任せたい。本廣に任せたい。」とそれぞれ改める。
  4. 同二二頁一〇行目の後に改行して次のとおり加える。
    控訴人は、赤司医師の臨床経過記録の記載からは、本件公正証書を作成した甲野公証人が壽雄の病室を訪れていた平成六年一〇月一四日午後五時三〇分頃から六時頃までの間、壽雄は意識が比較的クリアーであったことが裏付けられるし、甲野公証人も、右時点における壽雄の精神状態に何らの問題がなかったことを明言している旨主張し、これに沿う甲二七ないし二九、三二を提出する。なるほど、甲二八(入院要約)には一〇月一四日の壽雄の容態について、「時折コンシャスネスドロージーとなるも比較的意識はクリアーであった」旨の赤司医師による記載があるが、同医師はその意味について、「意識がクリアーであると記載していても、それは健康な人と同じように正常な判断能力があるという意味ではなく、医師の問いかけに対して壽雄から一応きちんとした答えが返ってきて特に異常な言動は無かったということであるが、問いかけ自体、『気分はどうですか。』、『痛みはありませんか。』などの体の容態に関するものが主体で、それほど難しい判断能力を要するようなものではないから、クリアーという記載が直ちに正常な判断能力を示すものではない。」旨述べているのであって(甲三二)、前示のような当時の壽雄の容態からすると、右甲二八の記載や甲野公証人の印象をもって壽雄の精神状態に何らの問題が無かったと認めることはできない。
  5. 同二三頁六行目の「証人本廣」の次に「の証言」を加える。
  6. 同二八頁一〇行目の後に改行して次のとおり加える。
    なお、控訴人は、壽雄の意思能力に欠けるところがない状態において、壽雄が甲野公証人に「私の財産はお袋にすべて任せたい。私の考えのとおりにして欲しいので本廣に頼んだ。」と発言し、甲野公証人が予め用意していた原稿に基づき読み聞かせたところ、壽雄において「結構です」と答えているから、民法九六九条二号所定の「口述」の要件に欠けるところはない旨主張する。しかし、前示のとおり、本件公正証書作成当時、壽雄は意思能力が欠如していたとまでは言い切れないものの、極めてそれに近い状態にあったことは否定し得ないところであり、「壽雄の意思能力に欠けるところがない状態において」という控訴人の主張の前提自体が採用できない。また、壽雄が甲野公証人に「私の財産はお袋にすべて任せたい。私の考えのとおりにして欲しいので本廣に頼んだ。」と発言したとの点については、その旨の甲野公証人の原審における証言部分は存するが、同人は壽雄の言った言葉は、「お袋に任せたい。」、「本廣に任せたい。」、「判子を新しくした。」の三つだったと思うとも証言しているのであり、前示の壽雄の容態にも鑑みると、壽雄がその財産の帰属や管理について整然と自身の考えを述べたか否かについては疑問があり、控訴人引用にかかる右甲野公証人の証言部分は壽雄の発言そのものというよりも、断片的な壽雄の応答から甲野公証人が推測した事柄をも含むものと解せられること、壽雄は本件公正証書作成の約二週間前(一〇月一日)に「内妻宮西シヲ子は本人の自由にして下さい。お金の事一切異議の申し立てしません。車も使って下さい。」などと記載した「遺言書」と題する書面(乙三)を全文自署して被控訴人に与えていることなどを併せ考えると、壽雄の甲野公証人に対する発言、対応をもって、民法九六九条二号所定の「口述」の要件を充足すると解することはできない。仮に壽雄が真実、右甲野公証人の証言部分のような発言をしたとしても、本件においては、前示のように、壽雄が意思能力欠如に近い状態にあったこと、公正証書の作成嘱託に当たり本廣は事前に壽雄の意向を確認していないこと、壽雄と先妻の間の四名の子らに対してなんら連絡、相談をしていないこと、甲野公証人も右四名の子らの存在を容易に知り得たにもかかわらず、壽雄がなぜスミノに包括遺贈するのかなどについて同人に確認していないこと、本廣はその後の経過から見て本件遺言について強い利害関係を持つ者といいうることが認められるから、結局、本件公正証書の作成は遺言者たる壽雄の真意に基づく、自由にして明確な遺言意思表示を確保するための口述の方式によってなされたとは認めることができないというべきである。

二 以上のとおり、控訴人の本訴請求は理由がないのでこれを棄却するべきであり、これと同旨の原判決は相当であって、本件控訴は理由がないから、これを棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官大塚一郎 裁判官笠原嘉人 裁判官金子順一)

《参考・原審判決》主文

一 原告の請求を棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由第一 請求

被告は、原告に対し、金二二五九万六四七一円並びに内金五〇二万九六四五円に対する平成五年五月二四日から、内金二五〇万六三四九円に対する同六年二月二四日から、内金四九四万四五〇五円に対する同年九月二一日から、内金一二六万四三四四円に対する同三年七月一七日から、内金一二六万一六九三円に対する同四年六月二九日から、内金三八〇万四五六二円に対する同二年九月二〇日から及び内金三七八万五三七三円に対する同四年七月八日から各支払ずみまで年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。

第二 事案の概要及び争点

一 概要

本件は、平成六年一〇月一五日死亡した松永壽雄(以下、「壽雄」という。)から、同人が同月一四日付け遺言公正証書でもってなした公正証書遺言(以下、右遺言公正証書を「本件公正証書」と、これによる右公正証書遺言を「本件遺言」という。)によりその所有する財産全部を遺贈された(包括遺贈)とする同人の母である松永スミノ(以下、「スミノ」という。)において、同二年一二月七日から同四年九月二二日までの間、壽雄と婚姻していた被告が、壽雄の有していた別紙〔貸付信託一覧表〕記載の各貸付信託(以下、「本件各貸付信託」という。)を、いずれも同人に無断で、同表中の払出日欄記載の各日にそれぞれ払い戻して着服したため、これらにより、同人が、同表中の合計額欄に記載する各金員に相当する各損害(損害合計二二五九万六四七一円)を被ったとして、被告に対し、壽雄の包括受遺者たる地位に基づき、前記第一掲記のとおりの損害賠償請求をなしていたところ(ただし、本件各貸付信託のうち、別紙〔貸付信託一覧表〕記載7の貸付信託については、スミノがこれを有し、被告において、スミノに無断でこれを払い戻し、着服したことにより、スミノ自身に損害を被らせたことを主位的請求原因としている。)、スミノにおいて同八年四月一一日死亡したことにより、同女の三女で、その包括受遺者となった原告が、本件訴訟を承継した事案である(右のうち、スミノと壽雄が母子であること、壽雄において平成六年一〇月一五日に死亡したこと、本件公正証書が存在すること、同二年一二月七日から同四年九月二二日までの間壽雄と被告が婚姻していたこと及び壽雄において本件各貸付信託を有していたこと、以上については、いずれも当事者間に争いがなく、スミノが同八年四月一一日死亡したことにより、その三女である原告がスミノの包括受遺者となったことは、弁論の全趣旨によりこれを認めることができる。)。

二 争点

本件の争点は、
<1> 本件公正証書の作成に際し、壽雄の意思能力の欠如ないしこれが同人の口授によるものではないという方式違反があったことにより、本件遺言が無効であると言えるか否か。
<2> 被告において、壽雄から、本件各貸付信託の贈与を受けたか否かということである。

第三 争点に対する判断

一 争点<1>について

1 主張

(一) 被告

本件遺言は、以下のごとき事由により無効である。

  1. 本件公正証書が作成されたのは、壽雄が死亡した平成六年一〇月一五日午後二時一七分よりわずか二〇時間前の同月一四日午後五時三〇分から六時までの間であるが、このころの同人は、その肝門部に転移していた癌を摘除手術した影響による敗血症のため、意識のレベルが低下した状態にあり、本件遺言の意味、内容を理解ないし判断するに足るだけの意思能力を欠いていた。
  2. 本件公正証書は、これを作成した甲野太郎公証人(以下、「甲野公証人」という。)において、本件遺言における遺言執行者及び証人となった原告の夫である本廣道善(以下、「本廣」という。)からあらかじめ伝えられていた、「壽雄の所有する財産全部をスミノに遺贈する。」旨の遺言内容をもとに原稿を起案した上で、右作成日時に、壽雄が入院していた防府市内にある山口県立中央病院(以下、「県立病院」という。)内の同人の病室に赴き、前記(1)のごとき状態下にある同人と対面し、その際における同人からの、「お袋に任せたい。」、「本廣に任せたい。」、「判子を新しくした。」というわずか三つの簡単な言葉をもって、壽雄の意思が右原稿の内容と相違ないものと認め、これにより、本件公正証書を作成したものであるが、右経過をもって、民法九六九条二号所定の遺言者による口授の方式が満たされているとは解し難い。

(二) 原告

本件遺言は、以下のとおり有効である。

  1. 本件公正証書が作成された当時の壽雄は、常に意識のレベルが低下した状態にあったわけではなく、死亡するまでの数日間は、いわゆる「まとも」な時とそうでない時とが混在していた状態下にあったところ、前記(一)(2)における「判子を新しくした。」という事実が客観的に裏付けられることにも照らすと、同公正証書作成当時の壽雄の意思能力には、なんら異常はなかったものである。
  2. 本件遺言は、単に、自分の全財産を誰に譲るかというだけのことであり、その受贈者として自分の母親一人を指定するというだけの内容であるから、なんら複雑な思考を必要とするものではない。したがって、前記(一)(2)のごとき経緯があれば、遺言者による口授の方式を満たしているものと言える。

2 判断

(一)(1) 前記第二、一に掲記した当事者間に争いがなく、あるいは、弁論の全趣旨により認められる各事実に加えるに、甲第一ないし第四号証、第八号証、第一一ないし第一三号証、第一六ないし第一八号証、乙第三号証、第三四ないし第三八号証、証人黒田豊、同甲野太郎及び同本廣の各証言、被告本人尋問の結果、当裁判所の県立病院に対する調査嘱託の結果並びに弁論の全趣旨によれば(ただし、甲一三及び証人本廣については、いずれも後記採用し得ない部分を除き、また、乙三八及び被告本人については、いずれもその一部。)、以下の各事実を認めることができる。

ア 壽雄(昭和七年四月一三日生)は、山口県佐波郡徳地町大字堀七三〇番地にある自宅において、母であるスミノ(明治三六年一一月七日生)と同居し、運送会社でトラックの運転手として働いていたところ、二度目の妻である弓子と離婚して約半年たった昭和五九年夏ころ、知人から紹介されて知り合った被告(昭和一四年九月二五日生)と見合し、しばらく交際した後の同六〇年初頭から、被告と夫婦関係をもつようになった。しかし、壽雄と被告が婚姻届出をなしたのはそれから約六年後の平成二年一二月七日であるが、同四年九月二二日には、被告において、壽雄に無断で協議離婚届を提出しており、以後、その状態が続いたままである。
イ 壽雄は、平成五年四月運送会社を定年退職したが、そのころ、徳山中央病院で大腸癌の手術を受け、いったん回復したものの、再び体調を崩したため、今度は、県立病院で治療を受けるようになり、同六年八月三〇日、同病院の内科に入院したところ、肝門部に癌が転移していることが判明したことから、同年九月七日、同病院の外科に移り、同月二一日と二三日の両日手術を受けた。しかし、右各手術を受けた後も、壽雄の容体は回復に向かわず、結局、同人において、敗血症を併発し、平成六年一〇月一五日午後二時一七分、同病院で死亡した。
ウ ところで、スミノの三女であり壽雄の妹である原告の夫本廣は、壽雄において県立病院に入院中、しばしば同人を見舞うために同病院を訪れていたところ、その間の平成六年九月二三日、同人の自宅において、本件各貸付信託(ただし、この時点では、別紙〔貸付信託一覧表〕記載の6を除いたもの。)に係る信託財産額ご案内を見付けたことから、これらが同人の財産に含まれると思うようになり、合わせて、このことと前後する同月一九日から同年一〇月一三日までの間、同人がその財産を被告に与えたくないとの趣旨の言動を示していることを見聞した。そこで、本廣は、壽雄の財産を被告に渡さないようにするための対策を講ずべく、事前に壽雄の意向を確かめないまま、平成六年一〇月一三日、防府市にある公証人役場に赴き、同役場の甲野公証人に対し、「親戚が病院に入院しているが、遺言したいと言っている。それで、遺言の公正証書を作成するにはどのようなものが必要か。病室に出入りする人が勝手に預貯金を引き下ろしているので、松永(壽雄)の財産を守らなければならない。松永が、「母親(スミノ)にすべてを任せたい。」と言っている。」などと告げて、壽雄に係る遺言公正証書の作成につき相談した。
エ 右の相談を受けた甲野公証人は、本廣に対し、遺言公正証書の作成に必要な書類を教えるとともに、「壽雄の主治医に、同人に遺言をする力(能力)があるかどうか相談し、大丈夫ということであれば、病院へ行って遺言公正証書を作成することは可能である。」旨答えた。そうしたところ、翌日の平成六年一〇月一四日午後になって、本廣から、「先生(医師)に相談した。先生は可能だと言っている。できれば(遺言公正証書を)今日作成してくれ。」との連絡を受けた甲野公証人は、本廣において右公証人役場に持参して来た所要の書類を参考にしつつ、前日、同人から受けた相談に即し、「遺言者(壽雄)は、その所有する財産全部を遺言者の母スミノに遺贈する。遺言執行者に本廣を指定する。」との内容の本件公正証書の原稿を事前に作成した上で、同人及び同人と共に同公正証書の証人の一人となった歳弘美奈雄と一緒に、県立病院に向かい、同日午後五時三〇分ころ、同病院内の壽雄の病室に至った。
オ 一方、平成六年一〇月一四日当時の壽雄は、その数日前から、敗血症の影響による意識レベルの低下した状態にあり、常時ではないものの、ある一つのことを関連付けて発言することができないことに加え、妄想的、幻覚的な言動を繰り返し示しており、右同日に至っては、ベッドの上に自力で起き上がることが難しく、点滴を投与することさえできないほどに重篤な症状を来たしており、したがって、例えば、自ら署名をすること自体は可能であるものの、それを何のためにするのかということやその持つ意味については分からなくなっている有様であった。
カ さて、前記エで認定したごとく、平成六年一〇月一四日午後五時三〇分ころ、本廣及び歳弘美奈雄と共に壽雄の病室を訪れた甲野公証人において、壽雄の病状を医師に確認するようなことはしないまま、同日午後六時ころまでの間、壽雄に対し、「自分は遺言公正証書を作成するためにやって来た公証人である。」旨挨拶し、壽雄の生年月日等を聞かせて、同人がそれに対し、「そうです。」と返事をしたり、本件公正証書の内容を説明したりする間の同人の表情などによって、その意思確認をした後、同人から、「私の財産はお袋にすべて任せたい。私の考えのとおりにして欲しいので本廣に頼んだ。」という言葉を聞いて、前記エで認定した原稿に基づき、「松永さんが言われたことを証書にするとこのようになります。」と告げて、壽雄に読み聞かせたところ、同人において、「結構です。」と答えたため、同公正証書に関する口授を得たものと判断した。
キ そこで、甲野公証人は、壽雄に対し、本件公正証書の遺言者欄に署名押印するように求めたところ、同人において、ベッドに寝たままの状態でこれらをなし、また、本廣及び歳弘美奈雄の両名も、同各証人欄にそれぞれ証人として署名押印したところ、毒雄において、右押印をなす際、「この印は、今度新しく作った。」旨口にした(この点は、甲一六により裏付けられる。)。
ク 本件公正証書はかかる経過を経て作成されたところ、前記イで認定したように、壽雄は、右作成の時からおよそ二〇時間後の平成六年一〇月一五日午後二時一七分、県立病院で死亡した。

(2) 如上各認定したところに照らすと、なるほど、本件公正証書が作成された当時の壽雄に意思能力が欠如していたとまでは言い切れないものの、同人において、そのころ、極めてそれに近い状態にあったことは否定し得ないところと思料される。

さらに、本件の場合、右に加えるに、本件公正証書の作成嘱託に当たり、本廣において、前記(1)ウで認定したごとく、事前に壽雄の意向を確認していないことはもとより、スミノや、壽雄とその最初の妻である良子及び二番目の妻である弓子との間の合せて四名の子ら(甲二)に対してもなんら連絡、相談をしていないこと(証人本廣中には、「右の子らと壽雄とは、養育費の支払期間を終えた後は音信不通であるため、右の子らは、同人の葬儀にも参列していない。」旨の部分があるが、経験則上、父母が離婚しているとはいえ、かつて養育費をもらっていたほどのつながりがある父の生死に関わるような緊急事態が発生していてもなお、父子ないしその周辺の者らの間で連絡が取り合えないような状況が続いているとはにわかに信用できないところである。)、甲野公証人において、戸籍謄本等の関係書類から、右子らの存在することは容易に知り得たはずであるのに、それにもかかわらず、壽雄がなぜスミノにその財産を包括遺贈するのかということや、壽雄の有する財産の内訳について、同人に確認しようとしていなかったこと(証人甲野太郎)、本廣については、前記(1)ウで認定した事実や、結果論的な面もあるが、前記第二、一で認定したごとくスミノから包括遺贈を受けて本件訴訟を承継した原告の夫たる立場にあることからして、本件遺言との関係では、決して中立的では有り得ず、むしろ強い利害関係を持つ者と言い得ること、以上の諸点も指摘されるところである。

そして、右の諸事情を合わせ考慮すると、本件において、甲野公証人と壽雄との間で、前記第三、一、2(一)(1)カで認定したごときやり取りが交わされており、また、原告が指摘するように、本件遺言が、スミノ一人に対する包括遺贈という、それほど複雑な思考を要する内容のものではないという事情が存することを前提としてもなお、右やり取りを含む同ウないしキで各認定した本件公正証書作成の経過をもって、これが、遺言者たる壽雄による、その真意に基づく、自由にして明確な遺言意思表示を確保するための口授の方式によってなされたとは解し難いと言わざるを得ない。

(二)(1) ところで、証人本廣の証言中には、「本廣において、平成六年一〇月一四日、壽雄の主治医であった黒田豊に対し、壽雄に遺言をするということについての能力があるのかどうか聞いたところ、同医師から、「今ならやれるから、早うにとにかくやってくれ。」と言われた。」、「本件公正証書を作ることについては、甲野公証人から聞いたとおりを壽雄に説明したところ、同人から、「そうしてくれえ。」と言われた。」旨の各部分がある。

しかし、前者については、本件につき何の利害関係も有していない証人黒田豊の、「本廣から、「本件公正証書の作成に当たり立ち会ってもらいたいという意味のことを言われたことはあるが、壽雄に遺言の能力があるかどうかというようなことを聞かれた覚えはない。」旨の証言と対比し、後者については、本件全証拠によるも、本廣において、壽雄との当該受け答えを、具体的にいついかなる機会に行ったのか不明であることからして、本件公正証書を作成することになったのは、甲野公証人から助言を受けたがためである旨の甲第一三号証中の記載部分共々、いずれも信用できず採用し得ないところである。

(2) かかる次第により、前記一1(二)に掲記した原告の各主張は、いずれも採用し難いと言うべきである。

(三) かくして、本件遺言は、民法九六九条二号所定の遺言者による口授の方式を欠くものとして無効と言わざるを得ない。

二 以上によれば、スミノにおいて、壽雄から包括遺贈を受けたことにはならないので、争点<2>につきこれが肯定されるか否かはともかく、同女を承継した原告の請求は理由がないこととなる。

第四 よって、原告の請求を失当として棄却することとし、主文のとおり判決する。

別紙 貸付信託一覧表〈省略〉

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